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岩手と東京で開催されたエンジニア交流会。参加者たちの会話を聞いていると、明らかな「ズレ」が感じられました。
生成AIの導入について、岩手のエンジニアが「仕組みをちゃんと理解してから使わないと、障害のときに対応できない」と述べていたのに対し、東京のエンジニアは「まず試してみて、うまくいったら採用する」と返す。
新しいフレームワークの採用について、岩手側は「既存システムとの互換性を確認してから」と慎重に、東京側は「新規プロジェクトなら最新技術を選ぶのが当然」と進める。
リモートワークの働き方について、岩手側は「地域の定時帰宅文化を尊重したい」と語り、東京側は「柔軟な働き方こそが個人の成長につながる」と主張する。
一見すると「年の差」に見えるこの違和感。しかし、よく観察してみると、その本質は全く別のところにありました。
交流会で実際に観察された、技術受容の違いを整理してみましょう。
岩手側(地方中小企業・SIer背景)のエンジニアの発言パターン:
東京側(スタートアップ・Web系背景)のエンジニアの発言パターン:
一見すると「年配は新技術に弱い、若手は積極的」という図式に見えます。しかし、参加者の年齢層を詳しく聞いてみると、この説明は成立しません。
岩手側にも20代のエンジニアがいます。東京側にも40代で積極的にAIを活用している人がいます。そして、その態度の差は、年齢ではなく「どんな環境で仕事をしてきたか」という背景によって説明されるのです。
岩手側の発言:
東京側の発言:
岩手側:
東京側:
これらの違いを見ていると、ある共通パターンが浮かび上がってきます。
ここで発想を転換してみましょう。
「年齢」という軸で分類するのではなく、「どの共同体に属しているか」という軸で分類すると、すべてが一貫性を持って説明できます。
岩手の共同体の特性:
東京の共同体の特性:
大企業・SIer系の共同体:
スタートアップ系の共同体:
職人型のアイデンティティ:
プロダクト志向型のアイデンティティ:
これらの共同体に属する人は、同じ技術に対して、異なる「評価基準」を適用します。
たとえば、生成AIコードの導入について:
どちらが正しいわけではなく、各共同体の前提条件と優先順位が異なるだけなのです。
ここまでの分析を踏まえて、実務で使える「トークの切り替え方」を整理します。
読者の立場によって、同じテーマに対する「刺さり方」が異なります。効果的なコミュニケーションのためには、相手の共同体を素早く見立て、その共同体が重視する価値観に合わせて言い換える必要があります。
相手が重視する価値観:
効果的なトーク:
「生成AIを使えると、ジュニアのうちから上流の設計や検証に時間を割けるようになります。5年後に『AI前提のシステム設計』ができる人材として、市場価値が大きく上がります。また、オンラインコミュニティでプロンプトやワークフローを共有し合うと、1人で学ぶより成長スピードが3倍速くなる傾向があります。」
避けるべき表現:
相手が重視する価値観:
効果的なトーク:
「AIツールの導入は、ジュニアのタスク代替という課題をもたらします。同時に、AIが定型作業を担当することで、ジュニアが上流工程や複雑な設計に早期に関わる機会が増えます。ここで重要なのは『育成設計の見直し』です。AIの時代だからこそ、シニアが暗黙知をいかに言語化・体系化して次世代に渡すかが、チームの長期的な競争力を左右します。」
避けるべき表現:
相手が重視する価値観:
効果的なトーク:
「東京の勉強会に毎回行けなくても、DiscordやGitHubで同じ技術共同体に入れます。実際に、岩手に住みながら東京のスタートアップ案件にリモートで関わるエンジニアが増えています。また、地方の強みは『長期的な信頼関係とドメイン知識』です。農業、観光、防災といった地域課題にAIを掛け合わせると、東京とは違う価値が出せます。」
避けるべき表現:
相手が重視する価値観:
効果的なトーク:
「若手が東京のコミュニティに出ることは『離職リスク』ではなく『学習投資』として捉え直せます。月1回、東京で学んだ知見を社内で共有する『技術シェア会』を設計すれば、若手の成長と組織への還元が両立します。また、AIやクラウドの導入は『少人数でも事業を回し続けるための生産性レバー』として機能します。段階的なPoC(概念実証)から始めることで、既存業務への影響を最小化できます。」
避けるべき表現:
効果的なトーク:
「リモートワークなら、通勤時間を学習や個人プロジェクトに充てられます。また、地理的制約がなくなるので、自分の興味に合った案件を選べる自由度が高まります。」
効果的なトーク:
「リモートワークの導入で、チームメンバーが分散しても、非同期コミュニケーションの設計次第で生産性は維持できます。むしろ、ドキュメント文化が強化され、暗黙知の言語化につながります。」
効果的なトーク:
「リモートワークにより、地方の優秀な人材が東京の案件に関わる道が開けます。同時に、東京の人材が地方の地域課題に参加することも可能になり、相互補完的なネットワークが形成されます。」
ここからは、実際の交流会やミーティングで、相手に応じてトークを切り替えるための、実践的なステップを解説します。
まず、相手がどの共同体に属しているかを、短時間で把握する必要があります。以下の質問例を活用してください。
地理的共同体を見立てる質問:
企業フェーズを見立てる質問:
職業的アイデンティティを見立てる質問:
相手の共同体が見えたら、その共同体が何を「成功」と考えているかを想定します。
| 共同体 | 主なKPI |
|---|---|
| 若手エンジニア | スキル向上、市場価値、心理的安全性 |
| 中堅・マネージャー | チーム成果、育成、組織継続性 |
| 地方の若手 | キャリア選択肢、地域との共生 |
| 地方のマネジメント | 事業継続、人材確保、生産性 |
| スタートアップ | スピード、PMF達成、資金調達 |
同じ技術やアプローチについて、相手のKPIに合わせて「翻訳」します。
例:クラウドマイグレーション
相手が感じている不安や懸念を、相手の口から聞き出す、あるいは先回りして言語化することが重要です。
若手が感じやすい恐れ:
シニアが感じやすい恐れ:
地方が感じやすい恐れ:
これらの恐れに対して、正面から向き合う言葉を用意することが、信頼構築の第一歩です。
最後に、相手が実際に行動に移しやすい「小さな実験」を提案します。
若手向け:
「まずは自分のタスクの一部をAIにやらせて、空いた時間で設計レビューに参加してみてください。その経験をブログに書けば、ポートフォリオにもなります。」
中堅向け:
「チームの1スプリントだけ、AI活用前提のタスク設計をしてみませんか?その中で見えた課題が、チーム全体への導入の鍵になります。」
地方マネジメント向け:
「1プロセスだけを対象にしたAI・クラウドのPoC(概念実証)を、外部パートナーと組んで実施してみてください。成功パターンが見えたら、他のプロセスに展開できます。」
スタートアップ向け:
「技術選定の議論に、地方のドメインエキスパートを1人入れてみてください。制約条件の中での設計は、プロダクトの耐久性を高めるトレーニングになります。」
ここまでの分析の背景には、複数の学術フレームワークがあります。これらを理解することで、より深く「共同体と技術受容」の関係を把握できます。
Wenger が提唱した概念で、「同じ関心・課題・仕事を共有し、『一緒にやること』を通じて知識やアイデンティティを形成する共同体」を指します。
技術受容への含意:
新技術は「個人が良さそうだから使う」のではなく、その共同体の実践・規範・評価基準にフィットするかどうかで採用が決まります。
たとえば、東京のスタートアップ共同体では:
一方、岩手のSIer共同体では:
同じAIツールでも、共同体のプラクティスにフィットするかどうかで、採用が大きく変わるのです。
「自分はどんな専門家でありたいか」「良いエンジニアとは何か」という自己イメージ・価値観のセット。
典型的な対立構図:
同じ40代エンジニアでも、「職人だ」という共同体にいるか、「ビジネスパートナーだ」という共同体にいるかで、AI受容は大きく変わります。
Davis の TAM では、技術受容を「知覚有用性」と「知覚容易性」で説明してきました。
しかし、その後の研究で、「組織・共同体との価値観の整合性(compatibility)」が、持続的な採用の鍵になることが強調されています。
つまり、個人説得よりも『共同体デザイン』の方が、技術受容を左右する重要な変数なのです。
ここで重要な指摘として、「年齢が同じでも技術受容に大きな差がある」という反例を示しておきましょう。これが、「年齢ではなく共同体」という仮説を強力に支持します。
2025年現在、若手エンジニアの間でも「AI/ノーコード/クラウドの積極活用派」と「従来の開発プロセスに留まる派」に明確な分かれが生じています。
若手A(25歳、東京スタートアップ):
若手B(26歳、地方SIer):
年齢は同じ1歳差ですが、所属する共同体の性質が技術受容を大きく規定しています。
40~50代でも、データから明らかな多様性が見られます。
一方で、「新技術は若手に任せる」として積極的に触れない層も存在します。
この差は「年齢」ではなく:
が技術受容を規定していることを示唆しています。
逆に、年代を超えて共通認識を持つ事例もあります。
リバースメンタリング(Reverse Mentoring):
「教え合うチーム」の実践:
ここでは「年齢」ではなく「経験の質」と「学ぶ意欲」が共通認識の基盤になっているのです。
ここまでの分析を踏まえて、実際に「異なる共同体を理解し、協働する」ための実践的な方法を提示します。
よくある失敗パターン:
若手がプレゼンしてベテランを説得しようとするが、相手の共同体の規範に触れていないため、説得力がない。
有効なのは:
具体例:
東京と岩手、スタートアップとSIer、Web系と組み込み系など、複数の共同体にまたがる人は、片方の共同体の言葉を、もう片方の共同体の価値観に翻訳する「通訳」として機能します。
記事や交流会では、このハイブリッド・メンバーの視点を前面に出すと、理論と実感が結びつきやすくなります。
例:「東京のスタートアップ文化も知りつつ、岩手の企業で働くエンジニア」の発言
「東京では『とりあえず試す』が当たり前ですが、岩手の顧客対応を経験すると、『説明責任』の重さが痛感できます。その両方を知ると、『試す』と『説明可能』の両立ポイントが見えてきます。」
よくある失敗:
有効な言い方:
チーム内に「用語集」や「設計思想ガイド」を共有することで、異なる共同体背景のメンバーが同じ土俵で議論できるようになります。
例:システム設計ガイドライン
# システム設計ガイドライン
## クラウドネイティブ
- 定義:コンテナ(Docker)+ オーケストレーション(Kubernetes)+ IaC(Terraform)
- 従来のオンプレミス設計との違い:スケーラビリティ、自動スケーリング、マネージドサービスの活用
- 導入時の検討点:既存システムとの互換性、運用スキルの習得、コスト構造の変化
## AIコーディング補完
- 定義:GitHub Copilot / Cursor などのAIアシスタントツール
- 使用ルール:補完結果の検証責任は開発者にある
- レビュー時の確認項目:セキュリティリスク、既存コード規約との整合性、パフォーマンスへの影響
## 説明責任(Explainability)
- 定義:顧客・ステークホルダーに対して、システムの動作・判断を説明できる状態
- 重要性:特に公共系・金融系システムでは法的要件となる
- 実装時の工夫:ログ出力、監視項目の設定、ドキュメント作成
週1回の「技術共有会」を設け、異なる共同体背景のメンバーが知見を交換する。
形式:
ここで重要な視点として、両者の強みを明示しておきましょう。
これらは「優劣」ではなく「異なる最適化」なのです。
最後に、実際の交流会やコミュニティイベントで、「共同体の違いを理解し、相互補完する」ための設計を示します。
参加者に事前アンケートで以下を聞き、グルーピングの際の参考にします。
テーマ:「あなたの組織で新しい技術を『採用する/しない』の判断基準は?」
活動内容:
期待される気づき:
複数の共同体を経験したメンバーが、「東京のやり方 × 岩手の価値観」をどう組み合わせるかを語る。
例:
「東京で学んだ『高速イテレーション』と、岩手で学んだ『顧客信頼の構築』を両立させるには、『スプリント内での実験』と『スプリント終了時の顧客説明』をセットで設計することが重要です。」
参加者が実際に協働するための、小さなプロジェクトを設計する。
例:地方課題 × 最新技術
この設計により:
岩手と東京のエンジニア交流会で観察された「世代間ギャップ」は、実は「共同体の性質の違い」だったというのが、本記事の主張です。
1. 年齢ではなく、所属する共同体が技術受容を規定する
同じ年代でも異なる共同体に属していれば、技術への態度は大きく異なります。逆に、年代を超えても同じ共同体に属していれば、共通の価値観を持つようになります。
2. 各共同体の価値観は「優劣」ではなく「最適化の方向が異なる」
岩手の「安定性・説明責任・長期信頼」重視も、東京の「スピード・実験・イノベーション」重視も、それぞれの環境下での合理的な選択です。どちらが「正しい」のではなく、文脈によって異なるのです。
3. 異なる共同体を理解することで、対立から補完へと転換できる
「年齢が違うから分かり合えない」ではなく、「共同体の前提が異なるから、その前提を理解した上で対話しよう」というアプローチに転換することで、より生産的な協働が可能になります。
この理解を実務に応用するには:
エンジニアのキャリアは、複数の共同体を経験することで深まります。岩手の安定志向を知り、東京のスピード感を経験し、スタートアップの実験文化を学び、大企業の組織設計を理解する。
そうした「複数の共同体を知る」経験こそが、真の技術力とコミュニケーション力を磨く最高の教材なのです。
「分かり合えない世代」ではなく「前提の違う共同体」だと捉えると、対話が設計しやすくなり、世代を超えた協働がより豊かになっていくのです。
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